This document was created using the >e-novative> DocBook Environment (eDE)

1.23. 日本に哲学なし

わが日本古より今に至るまで哲学なし。 本居篤胤の徒は古陵を探り、古辞を修むる一種の考古家に過ぎず、天地性命の理に至ては焉たり。 仁斎徂徠の徒、経説につき新意を出せしことあるも、要、経学者たるのみ。 ただ仏教僧中創意を発して、開山作仏の功を遂げたるものなきにあらざるも、これ終に宗教家範囲の事にて、純然たる哲学にあらず。 近日は加藤某、井上某、自ら標榜して哲学科と為し、世人もまたあるいはこれを許すといへども、その実は己れが学習せし所の泰西某々の論説をそのままに輸入し、いはゆる崑崙に箇の棗を呑めるもの、哲学者と称するに足らず。 それ哲学の効いまだ必ずしも人耳目に較著なるものにあらず、即ち貿易の順逆、金融の緩漫、工商業の振不振等、哲学において何の関係なきに似たるも、そもそも国に哲学なき、あたかも床の間に懸物なきが如く、その国の品位を劣にするは免るべからず。 カントやデカルトや実に独仏の誇なり、二国床の間の懸物なり、二国人民の品位において自ら関係なきを得ず、これ閑是非にして閑是非にあらず。 哲学なき人民は、何事を為すも深慮の意なくして、浅薄を免れず。

This document was created using the >e-novative> DocBook Environment (eDE)
inserted by FC2 system