堺市、浜寺風景甚佳なり。 海浜松樹乱立して、その下縦横歩行して涼を取るべく、大に須磨及び東海道中、平塚に似たるあり。 海汀一酒肆旅館を兼ぬる者一力といふ、構築すこぶる宏壮、欄に倚りて一望すれば、水天髣髴の際、神戸及び淡路を看取するを得。 余一夕妻と倶に歩して海汀に至る、遇ま天雨を催し、黒雲西方を蔽ひ、波浪両岸を拍ち、鞺 鞺の声、人をしてあるいは意気壮らしめ、あるいは悽然哀を催さしむ。 余既に不治の疾を獲ていはゆる一年半の宣告を受けて、而して妻日夜余に侍して薬餌の労を取るも、これ固より治癒を求むるにあらずして、ただ死期を待つのみ。 余や男子、かつすこぶる書を読み理義を解する者、箇中また自ら楽地ありて、時々大疾の身にあるを忘るるに至る。 妻の如きは女性、近来すこぶる余の薫化を受け、快を目前に取るの術を得るありといへども、しかも余の如く自得悠揚たる能はざるは自然の道理なり。 余固より産を治するに拙にして、家に逋債ありて貯財なし、而してこの重症に罹る、悲惨といはば悲惨なり。 この夕余笑ふて妻にいひて曰く、卿年已に四十余、余死したる後ち復た再嫁の望あるにあらず、余と倶に水に投じて直ちに無事の郷に赴かん乎何如と。 両人哄笑し、途中南瓜一顆と杏果一籠を買ふて寓に帰る、時に夜正に九時。