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2.10. 文学の戦国時代

今やわが邦の文学は、ほとんど戦国の時英雄割拠の有様に似たるあり。 漢文崩しの体あり、翻訳《洋文》あり、言文一致体あり、侍り鳧りの体あり、各種雑用の体あり。 惟ふにこれらの諸体各短長あり。 崇重典雅の様を見はし、若くは悲壮慷慨の状を写すには、漢文崩し最適当なるを覚ふ。 委曲詳密透得十二分なるを求むるは、翻訳体若くは言文一致体に如くは莫し。 優美の色彩を発するは、侍鳧の体を長と為す。 故にこれら諸体、今後時にその中に盛衰はあるべきも、消滅する者はなかるべし。 また文字の如きも、漢字あり、仮字中、草書伊呂波あり、片書伊呂波あり、万葉あり、かくの如く錯雑なる者は、恐くは古今いづれの国にもなき所の例なり。 是において乎文字改革の論あり、惟ふに時に政柄を秉る者、魯帝アレキジオウイツトの果断ありてこれを処せば、羅馬字最便利なるべし。 これを為すの方、先づ大中小字書を作り、次に岩谷漣の御とぎ噺の如きものを羅馬字もて編し、これを小学の予課に入れ、以て学生をして習熟せしめ、かくの如くして竟に官の公示諭達の中にも入るるに至らば、久きを経て一変するを得べし。 但かく文字を一定せんとせば、文体もまた一定せざるべからず。 而してこの時は言文一致体を独り適当と為す、欧米諸国即ち羅馬字を用ゆる諸国の文、皆この体なればなり。

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