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2.42. 文学としての謡曲

今や七月中旬にして梅霖いまだやまず、日々陰鬱甚し。 主人井上君ために謡曲本を借す。 乃ち披閲するに、けだし観世流摺版なり。 松風、鉢の木、百万、邯鄲等文章として観るときはおほむね拙陋の極、今日の露伴紅葉を以てこれを視る、華族と乞食なり。 けだし当時僧侶輩わづかに指を文学に染めて、而して本中やや誦すべきは古歌を引用したる処、仏語を点綴したる処、白楽天の詩句を借り来たる処に過ぎず。 一編結構もまた千篇一律、多くは仏神の霊夢、古人の亡魂等を以て張本と為し、その他は手に任せて塗抹したるもののみ。 もしほかに採るべき所はといはば、ただ隠然蒼古の色彩あることことれなり。 しかれどもこれ作者の功にあらずして、日月年歳の力といふべきのみ。

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